節分といえば豆まきですが……その豆を使った占い、ご存知ですか?

日本の伝統行事のうちの1つに、節分の豆まきがあります。
「季節の分かれ目(変わり目)」である節分には鬼が出ると言われていることから、豆(=魔目)を鬼にぶつけて邪気を払い、健康でいられるように願う行事ですね。

子どもの頃は、そんなことは特に考えることなく、鬼役の人にとにかく豆をぶつけることを楽しんでいた……という人がほとんどだと思います。

文化としてしっかり根付いている豆まきですが……
実は、同じく節分に行われる豆を使った占いがあることをご存知でしょうか?

その名も「豆占い」。

ストレートにそのままですが、他にも「豆占(まめうら)」とか「豆焼き」とも言われています。(百科事典にも載っていたので驚きました!)
諸説あるようですが、煎った豆を撒いて、その豆を占いに使うところもあるようです。

この占いは、日本式節分が誕生した室町時代(1336年―1573年)から存在していて、明治期には全国的に行われていたと言われています。

旧暦で新しい1年が始まる頃、その年の作物の出来不出来を大きく左右することになる天候や災害について、豆を使って占うそうです。
(ちなみに1年の豊凶や天候を占うことを年占(としうら)と言います)

豆占いの方法は以下の通り。

――小正月か節分の夜に、ダイズかアズキを12粒(閏(うるう)年は13粒)並べて、いろりの熱灰の上で焼き、各月の晴雨を知る占いの方法。焦げなければ晴、黒く焦げれば雨、半分焦げれば曇、はじければ晴などとする。――(株式会社平凡社/百科事典マイペディアより)

12粒の豆は、月の数と同じ分ですね。
上記の情報以外にも、煙だけ出ていたり豆が転がったりしていたら風、美味しそうな茶色なら小麦の出来が良い、などがわかるそうですよ。
すごいですね!



あ! 豆だ!
しかもちょうど12粒!

……ということで、豆占いに挑戦です。
編集の住む実家、千葉県の片隅で今年の天候を占う意味があるのかどうかはわかりませんが、せっかくなのでやってみました。
ただ、残念ながらいろりは所有していないので、今回はフライパンでいきます。



いろりの場合は3時間ほどかけて、じっくり焼くそうなのですが、フライパンなのでとりあえず弱火15分で実行します。
いざやってみるとなると、ワクワクしてきますね!
フタをしめて、いざ点火!

5分後、煙が出てきたので換気扇をつけます。
焦げ臭くなってきました。
途中で確認すると、すでに焦げ気味だったので急遽とろ火に変更。
時間も10分に短縮することに。

10分後、フタを開けてみると――



真っ黒。
これは……今年1年水不足には困らなそうですね……。
というわけにもいかないので、再チャレンジします!
豆はまだあるので!

2回目は最初からとろ火。
不安になって3分くらいで覗いてみたところ、まだ変化はありませんでした。
おとなしく待つこと10分、祈るような気持ちでフタを開けました。



これは……一応成功と見ても良いのではないでしょうか!?
写真は少しわかりにくいですが、ところどころ茶色くなっていたり、煙が出ていたりしています。
晴れ・曇り・風の月が多いということなのでしょうか……?

ちなみに、今回はそのままでも食べられる豆を使ったのですが、焼くとかなり香ばしく、柔らかかったです。
最初は「あ、美味しい!」と思ったのですが何粒が食べると苦かったので気のせいでした。


今も東北地方などでは行われている占いということで、きちんとやっている人に怒られてしまわないかドキドキしていますが、何か他の方法があればまたチャレンジしてみます。


ちなみに、今回豆占いについて調べてみたら、こんな情報もありました。

――「お湯の中に豆を入れ、それを見ずにすくえたらその年によいことがある」という豆占いもあるそう。――(イラスト:すみもとななみ、監修:三浦康子/PHP研究所/『はじめよう! 和のある暮らし』より)

へえ!



やり方はこれでいいのでしょうか。
なんだか難しそうなので3回勝負にします。


(虚しく水をかく手)
ダメでした。
3回やって3回空振り……。
(※ふやけた豆はおいしくいただきました)

豆占い、なかなか難しいものです。
試練の多い年になりそうですが、頑張って乗り越えていきたいと思います!


とはいえ、ここまでご紹介してきた豆占いの的中率、実はあまり高くないそうです。
それでもこの占いが今まで残っているのは、きっと人々の生活と深く関わっていたからなのでしょう。
作物の収穫に大きく影響を及ぼす1年の天候ですから、占わずにはいられなかったはずです。
当たる・当たらないに関係なく、占うことで気持ちを安定させていたのかもしれません。

占いが文化や伝統行事になっていく背景には、1日1日をより豊かに生きようと苦心する多くの人々の姿があったのですね。