「開運ライフ」とは・・・

日本人は昔から、その季節や一年の出来事のそのたびに、運命を開くおまじないをしていました。
それが年中行事やお節句となって今日に伝わり、今でも様々な形で幸運を引き寄せる、縁起担ぎのおまじないとして伝わっているのです。
このマーク・矢崎の開運ライフは、そんな今日に伝わる様々な、幸運を引き寄せるおまじないを紹介しながら、みなさまの未来や人生を幸運へと導く、開運ライプを提案するものです。
さあマークと一緒におまじないを生活の中に取り入れて、幸せな開運ライフを始めましょう。

重陽の節句は最強のパワーをもたらす

9月9日の重陽の節句は、五節句の中で最も強いパワーがあると言われています。
重陽…つまり陽が重なるというそのものズバリのこのお節句は、陽の数(奇数)の中でも最大の9が重なることから、中国の陰陽五行の思想では、陽の気が強すぎて人々の生命に害を及ぼす特異日とされ、また陽極まれば陰生ずるの考え方からも、巷に悪疫がはびこる危険な日とされて古来、中国ではこの日に禊をして身体の汚れを祓い、災難を除けるためのいろいろな伝統行事が執り行われていました。

またこの重陽の節句は、この頃ちょうど見ごろを迎える菊の花の生命力にあやかり、菊の花を使った魔除けやおまじないが行われ、そのため菊の節句と呼ばれるようになつたのです。
陽のパワーが強すぎるこの重陽の節句ですが、毒を用いて薬となすという考え方からか、生命力が衰え、命のパワーが弱くなった年長者にとっては、生命力を復活させるまたとないチャンスとなったのでしょう。

この重陽の節句の言い伝えには、不老不死や延命長寿の伝説が多く、お年寄りの長寿と健康を祝う敬老の日が9月にあるのも、この重陽の節句に由来すると言われているのです。


菊の花は太陽の象徴、延命長寿をもたらす生命力の花


菊の花はつぼみが丸い球体をしていて、この形が太陽を表すとされていて、エジプトや中国などの古代文明では、空に輝く太陽を表す生命力の強い花とされていました。

そのためエジプトの太陽神を祀る神殿には、太陽神の象徴として菊の花のシンボルが飾られ、地中海文明の栄えた地中海沿岸の国々では、農作物の豊穣をもたらし、人々に歓喜や生命力をもたらす恵みの花として、葡萄酒を入れる壺や瓶の装飾に菊の紋様が用いられたのです。

また中国でも菊は秋のこの時期の収穫の豊かさをもたらす恵みの花とされ、菊という字は米や麦などの穀物を両手で掬い取る「匊」という文字に、植物を表す草冠を付けて「菊」という文字ができたと言われています。



そのため中国ではその菊の花の持つ生命力や不老不死の霊力を表す伝説がいくつか残っていて、重陽の節句に行われる行事のいくつかは、その伝説がもとになっているのです。

例えば能の演目になっている「菊慈童(きくじどう)」はその昔、周の皇帝の寵愛を受けた美少年がライバルに追われて山に籠った。その七百年後、魏の皇帝の命を受けて不老不死の伝説の水を探していた勅使が、山中でその少年と出会う。少年は菊の葉や花から滴る湧水を飲んで不老不死を得て、この七百年間歳を取らずに生命を長らえていたという話で、その不老長寿の伝説から重陽の節句の行事が行われ、延命長寿の効用をもたらす菊酒や菊水の由来となったということです。


重陽の節句と宮中行事

菊の花は七世紀の奈良時代頃に薬草として中国から伝来してきました。
日本書紀には685年に天武天皇が我国で初めてこの菊の花を用いた、重陽の宴を開いたという記載がありますが、朝廷や貴族の間に宮中行事として重陽の節句が根付いたのは、平安時代になってからだと言われています。

初め菊は中国伝来の貴重な植物だったので、菊の苗を天皇より分け与えられた貴族たちは、こぞって立派な菊の花を育てて、重陽の日にその育てた菊の花を宮中に持ち寄り、その花の姿形や美しさを競って優劣をつける菊合わせや、そこで選ばれた菊の花を愛でる観菊の宴が行われました。

この観菊の宴では菊の花や葉を浸した水で醸した酒を不老不死の菊酒として盃を交わし、美しい菊の花を題材に和歌を詠みました。そしてこの秋に収穫された五穀をはじめ、芋や栗や果物などの秋の味覚を宴で食し、太陽の恵みに感謝して、その生命力を体内に取り入れて、重陽の日の強い陽の氣に耐えられるだけの気力を手に入れようとしたのです。
花札の菊に盃の図柄の札や、今日でも行われる菊花展や菊人形は、この菊合わせや観菊の宴が今に伝わったものなのです。

またこの日は、陽極まれば陰生ずるで、巷に邪気や悪疫がはびこるともされていました。そのため人々は中国の菊慈童の伝承に基づいて、菊の花に薄い真綿を被せて菊の香りや露を染み込ませた着せ綿を作り、それで身体をぬぐって邪気を祓い、病気や体調不良を直そうとしました。
また端午の節句のしょうぶ湯や冬至の日のユズ湯のように、菊の花や葉を湯船に浮かべて、その蒸気や湯に体を浸して、邪気や災禍を洗い流したのです。
そして人々が最も恐れたのは、邪気のはびこる重陽の日の夜に眠りに着くことです。
平安時代の人たちは、夢は別の世界での体験を表し、悪夢に襲われると霊魂が害されると考えて何より恐れたのでした。
そのため重陽の夜は布の袋に菊の花や葉を詰めた菊枕に頭を埋め、華やかな菊の香りに守られながら、夜の眠りに着いたのです。
我国の天皇家の紋章が菊なのは、後醍醐天皇がこの菊の花を愛して、菊をご自身の象徴とされたので、それまで紋章のなかった天皇家の正式な紋章として、それ以来菊の御紋が使われるようになりました。
太陽神である天照大神の末裔の皇室の御紋が、エジプトや地中海文明で太陽神の象徴とされる菊の花の紋章に定められたのは、何か不思議なご縁を感じずにはいられません。


重陽登高で災厄を祓おう

日本ではあまり行われない風習ですが、中国では重陽登高と言って、重陽の日に家族で山の高みへハイキングにでかけます。
この日、茱萸(しゅゆう)という漢方薬の実を入れた袋を肘に着けて山に登り、山の上でみんなで菊酒を飲むと、悪い病気や災いを避けて立身出世ができるという言い伝えがあるのです。
これはその昔、中国に仙人を目指して修行をした桓景(かんけい)という人がいてある日、師匠から9月9日の夜にお前の故郷を病魔が襲う。今から戻って家族や村人を救うのだと命じられ、茱萸の枝と菊酒を与えられました。
桓景は故郷に戻ると家族や村人を茱萸の枝で祓い清めて裏山に登り、山の上で菊酒をみんなに飲ませて夜の明けるのを待ったのです。
夜が明けて日付が変わったので桓景が村へ様子を見に行くと、村人は山に逃れて無事でしたが、家に残してきた家畜たちが疫病にやられて全滅していたという話です。

この伝説から中国では、陽極まって陰が生じる重陽の日には、漢方薬の茱萸を袋に詰めた茱萸嚢(しゅゆうのう)というお守りを肘に下げ、山に登って菊酒を飲む風習が生まれたのです。
また村人を救った桓景はその後仙人として出世したので、高みに登る意味合いからかも立身出世にもご利益があると言われているのです。

コロナ禍明けたと言われる我国ですが、まだまだ毎日大勢の人がコロナに感染しています。これは病魔に襲われようとする桓景の故郷と同じ状態です。
9月9日の重陽の日は、太陽の恵みの象徴の菊の花の生命力にあやかって、菊風呂や着せ綿で体にはびこる邪気を払い、菊酒や食用菊の料理で菊の氣を体内に宿し、近くの山やビルやタワーの屋上や展望台に上って重陽登高をして、あなたに訪れようとする災厄を祓って、立身出世を願ってみてはいかがでしょうか。

重陽の節句は新暦の9月9日はもちろんのこと、本来行われていた旧暦の9月9日に行なっても効果は変わりません。
今年の旧暦の9月9日は10月23日に当たります。旧暦の方が季節柄菊の花も咲き誇り、食用菊や秋の味覚も出そろうので、重陽の節句の行事はしやすいかもしれません。
もちろん新旧両方やれば、不老長寿の御利益も2倍あるかもしれないのでお勧めですよ。


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20歳で月刊少女誌『マイ バースデイ』(実業之日本社)におまじないや占いなどの連載を開始。『いにしえからの贈り物 お守り・厄除け・おまじない』(説話社)をはじめ著作多数。『毎日新聞』の占い欄ほか、ウェブサイト、携帯サイトの監修も多数。明治時代の実業家・易断家の高島嘉右衛門(たかしまかえもん)の玄孫(やしゃご)にあたる。日本占術協会専務理事、日本占術協会認定占術士。
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