そのルーツをたどる

こんにちは。
陰陽道・陰陽師研究家の高橋圭也です。
このコラムでは、皆さんがよく耳にする「陰陽道」について、説明していきます。

「陰陽道」という名称については、従来唱えられてきたように「陰陽道は古代中国から伝わった」という説が大きな間違いであったことが分りました。
実は古代中国や朝鮮半島で「陰陽道」という言葉を使った形跡がなく、陰陽道は日本で独自に発生・成立したものということが次第に明らかになり、現在はそれが定説になっています。
また、この「陰陽」も陰陽五行説のことではなく、昔は「うら」とも読み、占い、特に陰陽道が専門に使用した六壬式占(りくじんしきせん)という占いのことを指し、(令義解{りょうのぎげ}という律令制の養老律令{ようろうりつりょう}に関する注釈書に「陰陽は占いをいう」とあります。
9世紀中頃まで太一{たいいつ}や遁甲{とんこう}・六壬の三式占{さんちょくせん}という占いを陰陽寮{おんみょうりょう}は使っていましたが、10世紀末頃から六壬式占が主になりました)、末尾の「道(どう)」を律令制では役所や官庁という意味に使い、陰陽道は「六壬式占によって国家的なことを占う官庁」、または「国家占い官庁」という意味になり、さらに陰陽道には国家公務員占い師である陰陽師(おんみょうじ)が使った「陰陽之術(おんみょうのじゅつ)」(最初は六壬式占で占うことのみを意味しましたが、その後、六壬の占いや祓いを一緒に行う意味に変化しました)を行使する活動形態やその技術などの意味も含まれるようになりました。

さて、古代の日本において中国・唐の国家的占い機関である秘書省(ひしょしょう)の太史局(たいしきょく)と太常寺(たいじょうじ)の太卜署(たいぼくしょ)の2つの機関を統合した「天文道(てんもんどう)」「陰陽道(おんみょうどう)」「暦道(れきどう)」「漏刻(ろうこく)」の4つを包摂する「陰陽寮」を創設し、中務省(なかつかさしょう)に帰属させました。
陰陽寮が出来た初期の頃は皇室関係や公的機関、社寺などの国家的な案件のみを占いの対象にしていましたが、怪異(かいい、けい。これは心霊怪奇現象ではなく、日常起り得ない事象の発生を指し、将来起こる事件の前兆です)が発生した際にはその原因や対処法などを国家に報告することを専門にして、祭祀や祓いなどの活動はさほど行ってはいなかったのです。


陰陽師誕生

平安時代に入ると宮廷や貴族を中心に穢れを忌避する意識が急速に広がり始め、それまで主に祭祀や祓い活動をした神祇官(じんぎかん)の卜部(うらべ)も本来の仕事である道饗祭(みちあえのまつり)や疫神祭(えきじんさい)などの疫鬼(えきき、えきおに)を防ぐという穢れ(けがれ)をともなう祭りや祓いを次第に避けるようになっていきました。
そのため、卜部の代わりに国家占い官庁の陰陽道が怪異占とともに祈祷や祓いなどの活動を始め、それを活発化させはじめたこともあり、僧侶による仏教経典の転読や陰陽道の祭祀・祓いにその疫鬼を追い払う機能が移管されていったのです。また、卜部は皇室などの宮廷関係の祭祀と亀卜で占うことが主であり、当時皇室と姻戚関係を持って強い権力を持ち始めた有力貴族たちのための私的な祓いや祈祷を行うことができなかったので、ちょうどその頃に律令体制の縛りが制度的に崩れてきたことも手伝って、有力貴族たちの私的な分野の占いや祓いなどの活動を陰陽道の陰陽師たちが引き受けるようになっていったのです(実は、もともと陰陽師は陰陽寮の中の一部門の陰陽道に属する人間の呼称でした)。
だが、この陰陽道に属する陰陽師が行った卜占や祓い・祈祷などの技術を次第に陰陽寮内の他の天文・暦道・漏刻の三道の人間たちも行うようになり、いつの間にか、陰陽寮内で卜占と祓いの技術を行使する人間すべてを指して「陰陽師」と呼ぶようになっていったため、ここに「陰陽寮に属して陰陽道の技術を行使する者、占いと祓いを行う国家公務員占い師=陰陽師」という図式が成立しました(なお、明治時代に入って陰陽師制度は政府によって廃止され、事実上、陰陽師はこの世から消滅し、現在は存在していません)。


陰陽道の鬼祓い…鬼気祭(ききさい)

ここで話を戻して、なぜ陰陽師が卜部に代わって疫鬼を追い祓うようになったのでしょうか?これは、延喜式(えんぎしき)という平安時代の律令制の施行細則に「陰陽寮は、疫鬼を追い払う追儺(ついな)を行うべし」とあり、陰陽師が法律的に「追儺式(現代の節分祭)」で鬼を追い払う儀式の一切を取り仕切ることになっていたため、「陰陽師=鬼を追い祓う者」という形になったからです。
また、陰陽師が祭祀や祓い活動を活発化させはじめた頃から、従来使っていた三式占の太一・遁甲・六壬の中に含まれる戦勝や祓いをするための呪術や霊符などをベースに、他の真言密教や中国からの輸入文献による道術(どうじゅつ)、さらに病魔を退治し、追い払う呪禁(じゅごん)などの要素を取りいれて祓いや身固式(みがためしき)・反閇(へんばい)などの呪術を構築しましたが、当時は僧尼令卜相吉凶条(そうにりょうぼくそうきっきょうのじょう)に「凡(およ)そ僧尼卜相吉凶、及び小道巫術療病者(しょうどうふじゅつりょうびょうしゃ)は、皆還俗(げんぞく)、其(そ)の仏法持咒(ぶっぽうじじゅ)による救疾(きゅうしつ)は、禁限(きんげん)にあらず」とあるように仏教以外の術(小道巫術、道教などの術)を使うことは禁じられ、また天平元年(てんぴょうがんねん)に聖武天皇(しょうむてんのう)が「役人や庶民が異端や幻術を学び、厭魅(えんみ)や蠱毒(こどく)で呪詛(じゅそ)すると重罪を科す。また書符(霊符)を封印し、薬を配合して毒を作って他を害した時も重罪とする」という勅令(ちょくれい)を発し(以上の様々な術を研究者の多くが中国の道教の術と考えています)、その後も国が道教を禁じる法令を何度か出したため、道教の術法をそのまま行えなかったので、必ず仏教や密教系のものを加味して道教色を出来るだけ薄め、陰陽道独自の祭祀祈祷や祓い法を構築し、新たに作っていったのです。
そんな中で中国漢代の儒学者・董仲舒(とうちゅうじょ)に仮託された五行書「董仲舒祭法書」に「天下に疫病が流行したら、疫病を引起す鬼気を祓う祭りを行え」などの説を典拠として疫鬼による疫病流行に対処する「鬼気祭」という祭りを陰陽道が行うようになっていったのです。

今回はここまでになります。

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・プロフィール
高橋圭也(たかはしけいや)
ドラマ「陰陽屋へようこそ」「陰陽師」、映画「陰陽師」等の陰陽道指導を行う陰陽道・陰陽師研究家。
世界一のSEIMEI(安倍晴明)の剣印ポーズの生みの親。神道霊学研究家。兵法学研究家。
明階神職資格取得。
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