「開運ライフ」とは・・・

日本人は昔から、その季節や一年の出来事のそのたびに、運命を開くおまじないをしていました。
それが年中行事やお節句となって今日に伝わり、今でも様々な形で幸運を引き寄せる、縁起担ぎのおまじないとして伝わっているのです。
このマーク・矢崎の開運ライフは、そんな今日に伝わる様々な、幸運を引き寄せるおまじないを紹介しながら、みなさまの未来や人生を幸運へと導く、開運ライプを提案するものです。
さあマークと一緒におまじないを生活の中に取り入れて、幸せな開運ライフを始めましょう。


人日の節句

・七草粥と尽日の節句
 1月7日人日の節句と呼ばれ、七草粥を食べて新年の無病息災を願う日です。
 この節句と言うのは中国の陰陽五行の理論に基づいて、季節の変わり目に禊祓いで体の穢れを落し、その時候の旬の食材を食すことから新しい季節の氣を体内に取り入れ、体調を整えて新しい季節に身体を順応させ、厳しい季節の移ろいを乗り越えようとした、季節変わりの儀式です。
 その節句の最初に来るのが人日の節句で、本来は尽日の節句と呼ばれていました。尽日とは一年で一番最後の日という意味があり、つまり大晦日から元旦にかけて行われた、新年を迎える歳またぎの儀式でした。
 尽日の節句では年が変わる前から海や川の水に入り、禊祓いをして旧年中の穢れや災禍を祓い清め、年をまたいで水から上がります。つまりこれが新しい年に清い身体で生まれ変わる、再生を表す儀式です。そして眠る事は死を表すとされて、この尽日の日は朝日が昇るまで人々は眠りませんでした。
 朝日が昇るとそれは母の胎内から生まれ落ちた最初の明かりになぞられて、ご来光として朝日に手を合せて祈りをささげ、新しく生まれ変わったものとして一つ歳を重ねます。
そして再生の生命力が宿る若やぎ水を鍋に汲み、その水で七種類の雑穀や縁起物を焚き込んだ七種(ななぐさ)粥や七種雑煮を食べて長寿を祝いました。これがお雑煮の始まりです。
 なぜ七種かというと、全てを満たした十という数は神を表すとされ、それに一つ欠く九は天子の数とされ、皇帝の執り行う儀式の作法や食べ物の数などに用いられました。それに次ぐ奇数の七は一般庶民の特別な数として、祭りや特別な儀式の縁起の良い数とされ、それで七種が縁起の良い食べ物とされたのです。ちなみに一般庶民の普段の数は七に次ぐ奇数の五とされて、一汁三菜に一飯を加えた五品が食事の基本。その簡略型が五に次ぐ奇数の三で、質素を旨とする僧侶の食事は一汁一菜一粥の三品とされているのです。また末広がりで縁起の良い八は、本来は何かを生み出す数の奇数ではないのですが、庶民と天子とを繋ぐ登竜門の数として、出世や発展を願う縁起の良い特別な数とされているのです。
「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、年の初めの元旦は、その一年の出来事を表すとされていました。そのため夜明けの天気で一年の天候を占い、一番鶏の鳴き声でその年の鶏の健康や繁栄を占い、鳥の声で目覚めて吠える犬の遠吠えでその年の犬の健康や繁栄、犬の声でざわつく羊の様子でその年の羊の健康や繁栄、羊の声で騒ぐ豚の様子でその年の豚の健康や繁栄、豚の声で騒ぐ牛の様子でその年の牛の健康や繁栄、牛の声で騒ぐ馬の様子でその年の馬の健康や繁栄を占い、その後の人の食事の様子からその人の健康や運気を占ったといわれます。昔の中国は農耕文化の国ですから、自然相手に生活をしており、一年最初のお祝いの日といえども家畜の世話や田畑の管理など、自然を相手の基本的な作業は手を抜くことができませんでした。そのため尽日の節句でも日常の仕事は続けられ、それが新年を占うことに通じるとされて、一年の計は元旦にありという言葉の元となったのです。



・尽日の節句から人日の節句へ
 節句は本来一月一日、三月三日、五月五日…など、同じ奇数の月日が重なる日に行われるのが基本ですが、一月一日の尽日の節句は、節句本来の季節の変わり目を乗り越える儀式から、いつのまにか新しい年を迎えるお祝いの儀式の傾向が強くなり、今のお正月のお祝いへと変わって行ったのです。また人々の生活が豊かになるにつれ、新年を祝う期日も長くなり、一般では庶民の晴れの数である七に因んで、一月一日から七日までの七日間を松の内というお祝いの期間とされました。
 それによって新年の事象を予測する占いも、一日は鶏の日、二日は犬の日、三日は羊の日、四日目は豚の日、五日目は牛の日、六日目は馬の日と順に日にちが与えられ、この日はその家畜の吉凶を占うので、当然その動物を傷付けたり殺めることは忌み事とされ、むしろその家畜はこの日一日大切にされたのです。
 そして最後の七日目は、家人の新年の吉凶や、その年一年の健康を占う人の日とされて、人を傷付けたり殺めたりすることを忌みました。そのためこの日は罪人さえも、その刑の執行を免れる特別な日とされたのです。
 つまり一月七日は人の日で、人の命を敬い健康を祈る、節句本来の意味が強められ、やがてこの日が人日の節句となったのです。



・七種粥から七草粥へ
 尽日の節句の行事食は、新年の健康や五穀豊穣と豊作を祈って、米、麦、アワ、ヒエ、キビの五穀に、大豆と小豆を加えた七種を炊いた、七種(ななぐさ)粥を食しました。しかし尽日の節句は新年を迎えるお祝い色が強くなり、行事食も七種粥からお餅と縁起物の食材を煮込んだ華やかなお雑煮へと変わり、いっぽう七種粥は人日の節句の行事食とされたのです。
 またこの時期の日本では、宮中行事として初子の遊びという行事が行われていました。初子の遊びとは、新年を迎えて最初の子の日に、干支の初めの子の日の生命力にあやかって、野山に出て雪の下に芽吹く草の新芽を摘む「若菜摘み」や、常緑樹の松の新苗を採る「松根引き」という遊びをしたのです。
 松の新苗は初夏の田植えの時に、田の水の注ぎ口に植えて、新苗の生命力にあやかって田の豊作を祈るおまじないに使います。そして雪を描き分けて採った草の新芽は、若菜と呼ばれてそれを羹(あつもの)の汁として食し、その新しい命を体に取り入れて、一年の健康と長寿を祈るのです。
 この若菜摘みの新芽の汁と、人日の節句の七種粥とが合わさって、日本では一月七日に七草粥が食べられるようになつたのです。



・七草囃子は疫病退散のおまじないだった。
 七草粥はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロという春の七草と呼ばれる野草を、包丁などで細かく叩き、それをお粥に入れたものです。
 この春の七草を包丁で叩くとき「七草ナズナ、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、七草ナズナ、手につみいれて、亢觜斗張(こうしとちょう)」と七草囃子を歌います。
 この歌に歌われている唐土の鳥というのは鬼車鳥(きしゃちょう)という頭が九つある伝説の怪鳥で、お正月に唐の国から日本に渡って来て、その鳥の羽根やフンが地上に落ちると、悪い疫病を蔓延させると言われているのです。
 そのため人の健康長寿を祈る人日の日には、春の七草の若菜の生命力を身体に取り入れて、鬼車鳥の運ぶ疫病を追い払い、またその鬼車鳥を家や里から追い払うため、大きな声で七草囃子を歌いながら、その言葉に合わせて文字の数だけ包丁で叩き、その叩く音で鬼車鳥を追い払おうとしたのです。
 この七草囃子の歌詞は七音の言葉が七つ合わさって出来ています。これに合わせて包丁で叩くと、7×7で49回叩くことになります。この49という数は、中国の陰陽五行に基づいて、この世の氣の流れや変化を表す、五行、七曜、九星、二十八宿を合わせた数で、49回音を打ち鳴らすことで、陰陽五行の力で宇宙の氣のパワーを引き出そうとしたものです。
 またこの囃子歌の最後の亢觜斗張はそれぞれ二十八宿にある宿で、疫病の蔓延を防ぐ力があるとされ、鬼車鳥を退散させるおまじないの呪文とされています。
 実は冬場に流行るインフルエンザは、冬のこの時期に大陸から日本へとやってくる渡り鳥が運んでくると言われています。今ほど医療技術が発達していなかった昔の日本では、インフルエンザなどの伝染病や疫病が深刻な問題で、人々はそれが大陸唐土から渡ってくる鳥のせいだと気が付いていたのでしょう。それが七草囃子の歌となって伝承されて、野菜の少ないこの時期に、七草粥でビタミンやミネラルを補給して、インフルエンザや疫病に備える風習として、人日の節句が行われて来たのだと思います。



人日の節句の開運作法(おまじない)

・人日の節句の開運作法(おまじない)。
 人日の節句の行事食は七草粥ですが、お節句に入る行事湯は松根引きで取ってきた松の新苗や、松葉を湯船に浸した松湯です。
 冬枯れの山で緑を絶やさぬ松の木の豊かな生命力を、お湯を通して身体に宿し、無病息災を願うのがこの人日の節句の行事湯で、事実松葉や松苗から染み出た松の木のオイルやエキスの働きで、身体の冷えを治したり、心を落ち着かせる働きがあると言います。
 また、松の葉の付け根の茶色い袴を取って、熱燗のお酒に浸した松酒も、人日の節句に飲まれた行事酒で、松葉には漢方薬の働きがあり、血液を浄化し、血流を良くし、抗酸化作用の働きで若返りの作用もあると伝わります。
 お酒の飲めない方やお子様には、松葉を煎じた松の葉茶も、松酒と同様の働きがあるというので、よろしかったらお試しください。



 新暦での1月7日の人日の節句は終りましたが、旧暦では2024年は2月10日が旧正月で、2月16日が本来の人日の節句です。今でも潮の満ち引きや自然と深く関わり合っている沖縄では、新月をその月の1日とする旧暦でお正月をお祝いするとのこと。本来季節の移り変わりと深く関わるお節句の行事は、季節の流れと深くリンクする、旧暦で行なう方がより効果があるとマークは考えます。
 1月7日に七草粥を食べてしまったあなたも、今度は旧暦で人日の節句をお祝いしてはいかがでしょうか。



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20歳で月刊少女誌『マイ バースデイ』(実業之日本社)におまじないや占いなどの連載を開始。『いにしえからの贈り物 お守り・厄除け・おまじない』(説話社)をはじめ著作多数。『毎日新聞』の占い欄ほか、ウェブサイト、携帯サイトの監修も多数。明治時代の実業家・易断家の高島嘉右衛門(たかしまかえもん)の玄孫(やしゃご)にあたる。日本占術協会専務理事、日本占術協会認定占術士。
マーク・矢崎公式Twitter